女子か!って思う内容ですが、最近思うことなので書かせてください。
運命の人っていると思います??
つまりこの人生で神様が決めたであろう、愛で必ず結ばれるパートナーがいるかどうかってことです。
ちょっと前までなんだかんだ世間的によく話題になる話だから、まあいるのかもなーってくらい思ってましたが、今は「いないでしょっ!っていうか待つべきじゃないでしょ!」っていうのが結論です。
「愛される」ことと「愛する」こと
「愛される」ことを求める人生と「愛する」人生って実はめちゃくちゃ違うと思いません??
え、「愛される」も「愛する」もどっちもあるのが普通じゃん!って思う方もいるかもしれませんが、私は基本的に人はどちらかに偏ってるのだと思います。
人間誰しも最初は「愛されたい」という気持ちが先に生まれる生き物でしょう。
だって生まれたばかりの赤ちゃん時代から子供時代は、愛されなければ生きていけません。
それは愛される努力をするでしょう。
ただ愛されることを求めるということは、ある意味で人生の舵を他人へ任せることになります。
もっとはっきりいうと、依存してる形になるでしょう。
他人から愛されるためにはどうしたらいいのか、と。
人は愛してくれることを強要することはできません。
愛されるということに100%の自信を持つことができません。
「愛される」ことを求めているということはいつまでも不安をともなった生き方を選択してるということです。
親はもしかしたらいつまでも愛してくれるかもしれません。
ただ親以外はそんなわけにはいかないでしょう。
人はいつかは自分の足で立たなきゃいけません。
「愛される」ことを期待したり、見返りを求める他人との関係性から脱却しなくてはいけません。
つまり自ら「愛する」ことを実践していかなければいけません。
そしてこれが「自立」するということです。
「愛する」ことは簡単か
愛することは簡単でしょうか?
「はいはい、愛すればいいんでしょ! 愛してますーー!」
って感じは本当に愛してることなのか??
実は、真に「愛する」ことは、「愛される」ことばかり求めてきた人にとってとても難しいことだと思うんです。
ちょっと整理すると、「愛される」こととは何かしら見返りを求めてる状態であるということです。
だから真に「愛する」こととは、見返りを求めず、無条件に信頼し、無条件に愛するということです。
ズバッというと、相手が自分を愛してくれるかということは関係なく愛することを実践しなければなりません。
「愛される」ことばかりを求めてきた人たちにとっては、これを聞いたら不可能と感じる方もいるかもしれません。
もしかしたらこんな考え方が今までなさすぎて具合が悪くなる人も出てくるかもしれません。
愛の関係
しかし、この無条件の「愛する」ことを自ら実践しなければ、本当の「愛」の絆など生まれるわけはないんじゃないでしょうか。
「信頼されたい」と願うがゆえに見返りを求めて他者を信頼しても、それは信頼されてないと感じたら信頼することをやめてしまうということ。
「愛されたい」と願うがゆえに見返りを求めて他者を愛しても、それは愛されてないと感じたら愛することをやめてしまうということ。
こんな人、ずっと末長く信頼されたり、愛したりできます??
私は嫌ですね。
友達ならいいですが、親友とかそれこそ愛するパートナーにしたくありません。
このような考え方では深い関係性を築くことはできないのです。
でも「愛される」ことを求めてる人ってこういうgive&take的に「愛」の関係を考えてるということですよね。
「仕事」の関係ならいいでしょう。
しかし「愛」の関係においてこの考え方は、その人とともに「愛」を育むということを自ら放棄してるようなものではないでしょうか。
人は見返りを求めずただ無条件に自ら「愛する」ことを始めた時から、本当の意味で「愛」の関係をやっと築くことができるようになるんです。
「運命の人」なんていない。愛することを決断する
さて、最初に話題に出てきて運命の人ですが、運命の人を待つという考え方は、「いつか私と結ばれる人が出てくる」ということ、つまり「条件」でパートナーを決めなければいけないということ。
少しでも「運命の人とちゃうかも」って感じたら、その関係は終わりってことですよね。
もっとはっきり言いましょう。「運命の人」といういつか私のことを愛してくれる人が出てくるであろうという「愛される」ことを求めている考え方では、真に「愛」の関係性を築ける人なんてできないんです。
「運命の人」なんて待ってちゃいけないし、まあそもそも神様が定めて必ず結ばれる相手などいないわけです。
では、どうしたらいいか。
自ら「愛する」ことを始めなければいけません。
「愛する」ことを決断しなければいけないんです。
「運命の人」など待たず、運命は自らの手で作りあげるしかないんです!
だから、「愛すべき」と考える相手が目の前にいるならば、自らただただ愛し、今共に楽しい時間を過ごそうと努めるしかないわけですね。
その共に過ごした楽しい時間がまさしく「運命」と言えるのではないでしょうか。
全て受け売りです。笑
まとめると
- 「運命の人」など待つな。そんな人いないぞ。
- 「愛する」ことを自分で決断する生き方をしましょ!運命は自らの手で作りあげましょうよ!
ってことですね。
ここまでばばーーって書いてきましたが、これ実は最近読んだ「幸せになる勇気」って本の受け売りです。笑
私もこの本を読んで、今まで「愛される」こととか「認められる」ことばかり考えてたなーとか、愛されなかったって感じて愛することをやめて自分から関係性を終わらせてたな、などなど色々反省というか思うことがありました。
もし、
- 出会いがない
- なかなか愛されず悩んでる
- パートナーとなかなか良い関係を築くことができない
など悩みを抱えている方はこの「幸せになる勇気」を一度手にとってみてはいかがでしょうか。
※「幸せになる勇気」は「嫌われる勇気」の続編なので、より理解したい方は「嫌われる勇気」をまず読むことをオススメします。